BY 伊影 俊

10/22記載 「自分自身の過去と出会う時」−キッド
◎◎幼き頃の思いは今いずこ。ブル−ス・ウイリス主演の「キッド」は、観客の一人ひとりにそう問い掛けているような映画である。誰しも、胸に潜めた思いはあったはずである。それを実現した人はほんの一握りであり、多くの人々は、「そういえば、そんなことを考えた事もあったな」という感慨で終わる。人生の後半にさしかかり、それなりに功を成し遂げ成功していればさわやかな思い出として、また、残念ながら社会の片隅で辛苦をなめている場合は、苦い何とも言えぬ思いでとして感じとる。

◎◎たとえ、青春を謳歌し希望にあふれていた、それでいて不安感に満ちていたあの頃の夢を忘れていたとしても、また単なる思い出として忘れるよう心がけるとしても、今の自分がなりたいと望む未来に向かって、再び夢を見る事はできる。映画「キッド」は、私たち観客にそんなメッセ−ジを送っているのではないだろうか。日常生活にあけくれて精彩を欠く自分自身の姿を思い浮かべる時、いや私には実現したいこんな夢があるんだと胸をはって主張できるような人生を歩みたいものである。俗世間の垢にまみれたあなたには必見の映画である。
1/13記載「暴力とは何か、死とは何かを教える場の提供」----バトル・ロワイヤル
◎◎国会議員が子供に「見せるな」「教育上問題がある」と提言したために,話題となった映画。身近にいる中3生が観たというので感想を聞いてみると、期待していたほどおもしろくなかったという答えが返ってきた。作り手の意図とは別に、一番分かってほしい世代に伝えたいメッセ−ジを伝えきれていないのだろうか。私のようなおじさん世代には、学校で面と向かって教えていない、「命の重み」や「大人の競争社会での生存競争の熾烈さ」を、さらには「真剣に自分自身と向き合い、人生を考える」機会を与えてくれているように思われる。

◎◎表面的な殺し合いの場面を見て、皮相的でヒステリックな上映禁止を訴えるアホな大人にならないためにも、異質な意見をただ排除するだけのファッショ的な社会規制を受けないためにも、この映画はもっと多くの若者に見てもらいたいし、ごりごりの偏見に満ちた価値観に染まっている世代にも進んでみてもらいたい。インタ−ネットの普及で、どんなに隠しておきたい事柄も、知りたい人間でそれなりの知識があれば、情報を見つけてくることができるじだいになったというのに、まだ「寝た子は起こさぬほうが良いという」前近代的な発想が出てくることこそ異常ではないだろうか。

◎◎人は簡単に死ぬということを見せることは、逆に生の重みを示す事でもあるはずだ。そのメッセ−ジを伝えれるかどうかで作品の質は決まる。テレビの中で暴力シ−ンや殺人の場面が多いことが、犯罪の若年化を促しているという意見もあるが、確かに作品の出来次第で特に無くとも良い番組も多く見られるものの、受け取り手である視聴者の親や、学校で接する教師たちが日常的に命の重さ、個々の人権の尊さを教えることができていれば、まず問題は無いはずである。それよりも、他人の人格を無視したからかいや、人間の尊厳を貶めるバラェティ番組の方がよほど問題は大きい。そしてなかんずく高級官僚や政治家、そして企業トップといった著名人の不正行為が不当に隠匿されることこそ問題にすべきである。